『人類は衰退しました』(3)/その1・固有名の欠落

長い文章を書くのは久しぶりなので、どこまでちゃんと書けるかわかりませんが、これから書いてみようと思うのは、田中ロミオの小説『人類は衰退しました』について。しかも第3巻、という実に中途半端な巻数だし、出たのはもう2年近く前なんですが、当時読んで、大変に衝撃を受けたことが忘れられなかったわけです。で、正月休みだしせっかくだし、その「衝撃」についてちょっと書いてみようか、と。


なので、ここでは田中ロミオという極めて優れたゲームライターの資質についても触れることは(たぶん)ないし、また『人類は衰退しました』という、続編が発売されることが楽しみで仕方のないシリーズの全体についても(たぶん)触れません。あくまで第3巻、というシリーズのなかの1巻だけを取り上げます。


人類は衰退しました 3 (ガガガ文庫)

人類は衰退しました 3 (ガガガ文庫)

と言った途端に前言を撤回するようですが、『人類は衰退しました』シリーズは、シリーズ全体を通して大きな――見逃すことのできない特徴がひとつある。読んだ人なら誰でも気づくことですが、このシリーズには固有名詞がほとんど――ごく一部の例外を除いては――出てこない。登場人物も、主人公の《わたし》だったり、おじいさんだったり、助手さんだったり、あるいは妖精さんだったり、もちろん主な舞台となる村も、決して名前で呼ばれることはないわけです。固有名詞というのは、それだけで「情報」を背負ってしまうものです。アドルフ・ヒットラーにせよ、東京にせよ、コンティキ号にせよ、固有名詞はその対象の「それ性」を表わしてしまう。固有名詞で呼ばれることで「それ」は、「それ以外」のモノと区別されるわけです。普通名詞の「犬」は、あの犬やその犬やこの犬……その他もろもろの「犬」を、全部ひっくるめた「犬」(という概念とかイメージ)を指し示すわけですが、例えば「ポチ」や「ハチ」は、ある1匹の犬を指し示すわけです。


さて、固有名詞を回避することで『人類は衰退しました』は何を表現しているのか。……というと、それは簡単なことで、物語が指し示す空間を抽象的な空間へと昇華しているわけです。例えば、この物語の舞台がもし「越谷」だとしたら、私たちは、この物語に描かれた「越谷」を現実の「越谷」と比較して、その距離を測るでしょう。小説の題名が『人類は衰退しました』なのだから、遠い――かどうかは、ちょっとわからないところですが、たぶん未来のどこかの時点の物語であることはわかる。そしてその未来の「越谷」が、私たちの知っている「越谷」とどれだけ違うのか、私たちは読み取ってしまう、ということです。しかし『人類は衰退しました』は、そうした《読み》を回避する。そうした《読みの回避》は、さまざまな描写に表れていて、例えば村の風景は、山と森に囲まれた場所だ、とは描写されるものの、具体的にその山がどれほどの高さで、森がどれほど深いのかは判然としない。逆に言えば、固有名を欠落させることで、物語はどこか寓話の世界に近づいていくわけです。


とはいえ『人類は衰退しません』は、決して寓話ではなく、れっきとした小説です。「寓話」というジャンルを、どう定義すればいいかは議論の多いところですが、ひとまず「現実を抽象化することで、広く流通するようになった物語群」とでもしておきましょうか。いわば、イデアとしての「現実」があって、そこから導き出される――あるいはイデアの光に照らされる「影」として――「寓話」がある、というわけです。現実の事件や出来事を人々が口伝えでリレーした結果として、多くの寓話や童話が生まれてきたことは、多くの研究が教えてくれますが、そこでは「抽象化」が働くことによって、ある具体的なひとつの事件だけでなく、そのほかの似たような事象をも「隠喩」しているかのように読めるし、聞こえる。多くの寓話が一種の教訓譚として読まれる背景には、こうした作用が働いています。


ひるがえって『人類は衰退しません』は、そうした寓話とはまったく違う。そこには、物語の源泉たるイデア=現実はなく(というか実は「現実」ではないものが、その物語のエンジンとなっているのですが)、何かを指し示しているにも関わらず、その「何か」が一見、わからないような仕組みが働いている。とにかく、固有名が否応なく持ち込んでしまうリアリティをあらかじめ封印しておくことで、『人類は衰退しました』は、ここに書かれている「物語」が「物語」以外の何ものでもない――読み手の私たちを取り囲む「この現実」とは、何の関係もないということを主張している。といえるわけです。


自分が「書かれたものである」ことを自覚していること、は近代小説の逃げられない特色のひとつですが、ちょっと話が飛躍しすぎてますかね。とにもかくにも『人類は衰退しました』は、固有名を避けることでリアリティを封印し、自らを「物語」として、読者の前にプレゼンテーションするわけです。実際にはこの第3巻には、2つの重要な固有名詞が登場することで、物語が決着するんですが、逆に言えば「名前が明らかにされる」ことが、物語の終わりを告げるようになっている。これは読んだ人にしかわからないことですが、「ひとまず仮につけられた名前」が「もうひとつの(もともとの)名前」につけ直されるまでを描いた物語として、『人類は衰退しました』の第3巻は読むことができる。


……と、ここからがいよいよ本題なのですが、かなり長い文章になってしまいました。また近いうちに続きをアップします。