モジブリボン

■うちの近所のジョナサン、メニューの「ステーキ」がいまだに“アメリカン・ビーフ”になってるんだけど、本当だろうか?


■僕は今、『ハイパープレイステーション』と『ニュータイプ』、それに『コンティニュー』、と雑誌の仕事をメインでやっていて、それぞれに面白いところがあるのだけれど、実は一番自分で面白がってやっているのは『モジブリボン』の連載だったりする。といっても、これを見ている人のなかで、プレイステーション2を持っていて、『モジブリボン』を遊んでいて、しかも「モジブリボン・ネットワーク」に繋いでいる人なんてほとんどいないんじゃないかと思うので、少し解説。この『モジブリボン』、文字を音声に変換して、しかもそれでラップをする(まあ早い話『パラッパラッパー』みたいなもんだ)というゲームなのだけれど、つまり、テキストデータの数だけ新しいステージを遊ぶことができて、それを配信するのが「モジブリボン・ネットワーク」というわけなんですな。


■で、雑誌で記事担当をやっていたこともあって、この「ネットワーク」の配信コーナーで「1プレイ世界名作劇場」という連載をやらせてもらっている(隔週)。これまでに川端康成『雪国』、芥川龍之介羅生門』、森鴎外舞姫』、宮沢賢治銀河鉄道の夜』、と日本文学の有名どころを、かなりいい加減に要約しつつ、出鱈目なラップに変換するって作業をしているのだが、これが実に楽しい。


■まず、すっかり縁遠くなった近代古典作品を読み直すいいきっかけになった、というのがひとつ。仕事でもなきゃ森鴎外なんて、読まないですよ。今ちょうど来週更新用に、漱石の『坊っちゃん』を読んでたところなんだが、主人公がマドンナと初めて出会うときの描写がイカしてる。「何だか水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみた様な心持ちがした」。うわお。メチャかっこいいじゃん。まあ『坊ちゃん』自体が、江戸落語の粋のよさに満ちた作品なんだが、こんな比喩がスルリと書ける作家なんて、今そんなにいないんじゃねえかな。


■でもって、こういうカッコいい文章をズタズタに解体する。バロウズカットアップ/フォールドインまではいかないけれども、なるべく文章のエッセンスを残したまま、全体を30文字×30フレーズに圧縮するって作業をするわけで、これが実にスリリング。しかも原典が小説なので、どう頑張っても詩的にならない。詩の躍動感がないっていうのかな。散文のズルっとした感じが残ってしまう。そのアンバランス感が面白い。


■このあと『坊っちゃん』、田山花袋『蒲団』と続いて、後半は海外の作品に進む予定。そのために『共産党宣言』とか『罪と罰』なんかを今さら買ったりしています。でもドストエフスキーはかなり長いからなあ。うまくいけばいいけど、難しいよなあ。