冷蔵庫が壊れたっぽい。

■それにつけてもまったく頭に来ることばかりで、上で音楽の話を書いた途端に、レコードの輸入権なんて言語道断な法律が国会に提出されていて、法律で保護されなきゃ生きていけない業界なんて滅んでしまって構わないとか思う。といっても再生保証されていないCCCDはその内容がどれだけよくっても再生できない可能性があるんなら買わない。と決めているし(だから石野卓球の新譜もハルカリも欲しいなあ、いいなあと思うけど買わない)、それより何よりアメリカの5大メジャーの輸入盤なんて年に数枚買えばいい方で、だから直接的に関係することはそうそうなさそうなんだけど、にもかかわらず、聞ける音楽の幅が狭まってしまうということには猛烈な怒りを感じる。なんで、俺から選択肢を奪うんだよ。と。


■音楽なんて、起きて仕事して食べて寝るだけの生活にはまったく役に立たないものだ。だから、世の中の大半の人は、レコードを買う必要なんてほとんどない。映画だって本だって絵画だってファッションだって化粧だって、あってもなくてもいい目蒲線みたいなもんだ(というか目蒲線なくなっちゃったんだよな)。そして、あってもなくても構わないものにお金を払う行為を人は「贅沢」と呼ぶ。マクドナルドとかカロリーメイトで十分なのに、今日は時間があるからゆっくりしたいなと思ってお気に入りのリストランテに行く。家のユニットバスでいいのに、山奥の秘湯に出掛ける。それが「贅沢」ってもんでしょう。


■僕は「贅沢」が好きだ。「サービス」が大好きだ。できるだけ気持ちのいい状態に自分を置いておきたい。そしてそれが、身の程知らずの「無駄」だってことも自覚してるし、「贅沢」を商売にするのがどれだけ大変なのかもわかってるつもりではある。なにせ僕の両親は衣料品の卸し問屋をやっていたから、20年近くその苦労を目の前で見てきた。「キレイに着飾る」が魅力的なことなんだってことを、いかにわかってもらうか。父は身体の具合が悪くなるくらい熱心に、それを毎日繰り返していた(現役を引退した今は、日用大工に凝ってるらしく、昨日なんか「お前の家、どっかリフォームするところないか?」って電話をかけてきた。あのー、ウチまだ築5年なんだけど)。


■そして「贅沢」や「サービス」は、絶対に選択肢の幅を広げておかなくちゃいけない。ひとつのサービスよりもふたつのサービスのどちらかを選べる方が、より「贅沢」だから。そんなサービスを仕事にしている人たちが、利益のためにサービスの幅を狭めようとしている。でも、レコードを買ったり売ったり、聞いたり録音したりするのは、どこまでいっても「水商売」なんだ、「贅沢」なんだ。そんなもんで金儲けをしようなんて、だいたいが間違ってる。間違ってるけど、世の中にはそれがないと生きていけない人がいるわけで、その人たちの方を向いて商売をしなきゃ意味がない。


■ああ、なんか全然こんなこと書くつもりじゃなかったのに。