で、何が書きたかったかというと。

■今売ってる『CONTINUE』vol.15の、『グランド・セフト・オートバイス・シティ』の記事になぜかあのピーター・バラカン氏が登場していて――この企画を編集長・林さんから聞いたときには今いちピンと来なかったのだが、実際に記事を見たら“ああ、なるほど”と思ったんだけど――そのインタビュー中に、小林克也の「ベストヒットUSA」と彼がホストを務めていた「ポッパーズMTV」の違いについて、こんなふうに応えている。「「ポッパーズ」は、ある意味もっとマニアックな番組(笑)。マニアックっていっても、ほかの番組でかかっていないものを普通に紹介する。人々がマニアックと呼ぶ者をごく当たり前に紹介すること。得意がって「これは知らないだろ!」みたいなのじゃなくて、それは当たり前のものなんだっていうね」


■普通に、当たり前に、あまり人に知られてないものの話をすること。これって、けっこう難しい。なぜなら、話をしている相手は、往々にして「マニアックなそれ」のことを知らない。だから、なんとなく「なぜ僕はそれを知るにいたったか」を語りたくなってしまう。「それを知っている“私”」について語ってしまう。ホントは、話の焦点になる「マニアックなそれ」の話をすべきなのに、自分の話をしてしまう。でも社会的なつながりを求めない自分語りってのは、本質的につまらない。へえ、そんなこと知ってんだ、スゴイねー。ってだけで終わってしまう。インターネットで公開されてる日記のほとんどがつまらないのは、間違いなくこの“自分語り”のせいだ。この日誌も、なるべくそうはならないように気をつけてるつもりだけど、「スゴイねー」で終わっちゃうものになってると思う。で、そのたびに、ああダメだなと思うんだけど。


■「マニアックなものを知ってる」ことは、別に偉くもなんでもなくて、ごく当たり前のことで、普通のことだ。だいたいにおいて、人の知ってることを自分は知らないことのほうが多いし、その逆もまたしかり。僕の興味とあなたの興味は絶対的にすれ違っていて、だからこそ話す必要がある。そこで語られている「マニアックなもの」はその興味の反映なのであって、相手が知っていようといまいと、本質的には関係がない。相手が知っていようといまいと、普通に、当たり前に、「マニアックなもの」について話したい。だから「そんなこと知ってるんですかー、スゴいですねー」と言われると、なんだかすごく悲しくなる。僕自身に興味を持ってもらうよりも、できれば相手にその「マニアックなもの」を観たり聞いたりしてほしい。そして感想を聞かせてほしい。どれくらい僕とあなたの興味が違っているのかを知りたい。そんなふうに思ったんだ、と驚かせてほしい。


■そこからすべては始まるんだと思う。んだけども。