やる気、でろー

いとしこいし 漫才の世界 熊の場所 (講談社ノベルス)


■このお正月、実家に帰って何をやっていたかというと、毎日、ダラダラとテレビでお笑い番組をチェックしてました。たまに繁華街に買い物に出たり、ミニシアターみたいなとこでずっと観に行かなきゃと思ってた『雲のむこう、約束の場所』をようやく観たりもしたんですけど。


■元旦の『爆笑ヒットパレード』は見逃したんだけど、それでも暇があればお笑い番組ばかり観ていて、お笑い番組さえあればほかは何もなくていいな、ああ、俺は本当にお笑いが好きなのだなと改めて思ったりしたんですが、1月4日に『ザ・ドリームマッチ'05』という番組をやっていて、これは雨上がり決死隊とかさまぁ〜ずとかココリコ、くりぃむしちゅーといった中堅芸人の方々が、いつもとは違う相方と組んで(つまりシャッフルユニットってことやね)ネタをやるって番組で、これがなかなか面白かった。というのも、普段は見ることのできないネタづくりの場面なんかをチラッチラッと見せてくれたからで、ネタづくりをしたことのないガレッジセール・川田とキャイーンのウドがネタづくりに四苦八苦するとか、なかなか構成的に面白いところがあって。とはいえ、もちろん構成作家さんたちが手を加えている部分もかなりあるんだろうなあ、とは思うんだけれども。


■にしても、やはり普段見たことのない組み合わせで、新しいネタを見るというのはすごく新鮮で、ふと年末に流し読みした『いとしこいし 漫才の世界』という本を思い出したりしたわけです。夢路いとし・喜味こいしは、僕が最も好きなお笑い芸人さんのひとつで――しかし夢路いとし師匠が亡くなられたあとはその活躍を見る機会もすっかり減ってしまい、正月番組で彼らの漫才を観るのが楽しみで楽しみで仕方がない、彼らの漫才抜きの正月なんて、餅のない雑煮みたいなもんだと思っていたくらいで、本当にとても悲しい。この本には、彼らの洒脱でウィットに富んでいて上品で、ダンディなのにどこかすっトボけた漫才のエッセンスが、ギュッと詰め込まれている。漫才はやっぱり話芸なので、ホントは文字で読むだけではその魅力を伝えきることはできないんだけども、こう頭のなかで彼らの声を、動きを、間を再現しながら読む。そのことの幸福は、やっぱり何物にも代えがたいわけで。


■そして彼らは、活動停止まで、常に新ネタにチャレンジしつづけた、ある意味、芸人としてスジの通ったコンビでもあり続けたわけです。最近の若手芸人さんのように、売れたあとは舞台よりもテレビがメインになってしまって、ネタをやる機会も減ってしまうというのは、ある意味正しい選択ではあるんだけども、やっぱり少し寂しいことで、常に時代のトップランナーではなく“2番手”であり続けた、いとしこいしのようなコンビが、新ネタに意欲的だったというのは、何か示唆的な気もする。しかもそのなかで、確固としたスタイル。みたいなものをつくり上げていったというのは、とても魅力的だと思う。


■年末に新書版が出た舞城王太郎の『熊の場所』の最後に収められた短編「ピコーン!」は、いつもながらの舞城節で、適当極まりない殺人事件と適当な極まりない推理と適当極まりない解決がチャカチャカと縫い合わされていく、彼にしか書けない不思議な小説(高橋源一郎曰く、鍵と鍵、あるいは穴と穴ばっかりが出てくる推理小説)なのだけども、でもそのラスト、主人公が松本人志の『一人ごっつ』を見ながら、今は亡き恋人(猟奇殺人の犠牲者)を思い出すシーンは、やっぱり何度読んでもグッときてしまう。そこで、主人公は「フェラチオを出世させよう」というネタを見ながら(このネタは『一人ごっつ』のなかでも一、二を争う超絶なネタだと思う)、恋人が大好きだったフェラチオのことを想う。そのおかしさとせつなさったら、ない。


■つまり、お笑いによって救われる人生というのも、また世の中には存在するというわけです。