それなりの愛で満たされてしまうのは罪かい?

Pet Sounds  [from UK] [Import] Again Abbey Road


ビーチボーイズの『ペット・サウンズ』とバッファロー・スプリングフィールドの『アゲイン』は、僕にとって忘れることのできない作品――というよりも、むしろ体験なのだった。という話をしてみようと思う。


■ホットロッドサウンドの代名詞的な存在だったビーチボーイズが突如として発表した異色作『ペット・サウンズ』が、ビートルズの『ラバーソウル』に大きな影響を受けてつくられたことは、熱心なロックファンなら知っている人も多いだろう。『ラバーソウル』の衝撃――アイドルバンドだったビートルズが、何を思ったか突然スタジオにこもってつくりだした、アシッドでフォーキーでサイケデリックなアルバムは、西海岸でサーフィンと車の歌ばかりつくっていたひとりの青年、ブライアン・ウィルソンにとんでもないショックを与える。彼は、ツアーに出たほかのメンバーには内緒で、ひとりスタジオに入り、大勢のスタジオミュージシャンたちと異常としか思えない入念な録音を経て『ペットサウンズ』を完成させる。もちろん、そこにはサーフィンも車もなく、ひたすら内省的で繊細で、奇妙なファンタジーが綿々と紡ぎ出される結果になった。


■特にB面――「神のみぞ知る」から「キャロライン・ノー」へと続く流れには、当時のポップミュージックが持ち得た、最高に美しい瞬間がある。決してルートをたどろうとしない、一聴すると不安定にも思えるベースライン、深いエコー、そしてなんといっても「キャロライン・ノー」の最後に唐突に聞こえてくる汽車の音とそのあとに続く犬の鳴き声。テープコラージュが持つ不思議な破壊力を、ここまで鮮烈に刻み込んだサウンドは、発表から40年近く経とうとしている今も、その威力を失っていない。


■そして、バッファロー・スプリングフィールド『アゲイン』。このアルバムの最後の曲、「折れた矢」はビートルズのロサンゼルス公演での観客の歓声から幕を開ける。アルバムの1曲目「ミスター・ソウル」をリフレインしながら始まるこの曲は、ちょっとした組曲風に展開し、まったくなんの繋がりもない複数の曲がジグザグに組み合わされ、そのなかには遊園地のジュークボックスから流れてきてもおかしくない、チープなサウンドもある。サイケデリックというのとも、技巧的というのともまた違う、不思議な感触を聞き手に残したまま、アルバムは――心臓の鼓動とともにゆっくりと、しかし唐突に幕を下ろす。


■前回触れた、中沢新一の「カイエ・ソバージュ」に出てくる〈流動的知性〉というフレーズを読んで、真っ先に思い浮かんだのが、この2曲――「キャロライン・ノー」と「折れた矢」だった。〈流動的知性〉とは「異なる領域を横断していく流れ」である。本来なら別々の――例えば、博物的知能や一般知能や社会的知能や言語のような、本来バラバラに働いている〈知性〉を、繋ぎ、結び、くっつける“流れ”。そのイメージは、「カイエ・ソバージュ」に書かれているどんな事例よりも、ビーチボーイズ(というよりはブライアン・ウィルソン)やバッファロー・スプリングフィールド(というよりはニール・ヤング)の行った、音楽的冒険に似ている。ファズの効いたギターを食い破る美しいメロディライン、深い深いエコーの向こうから唐突に聞こえてくる汽笛……。その驚きと、でも不思議と肌に馴染む感触。


■そして面白いのは、中沢は〈無意識〉という概念を導入することで、〈流動的知性〉のあり様を逆側から照らし出す。つまり(フロイトが言うような)無意識のなかでは、博物的知能や一般知能……etc.が、あらかじめ圧縮されたり、置き換えられたりしながら、一緒くたになって格納されている。そして、この混沌とした〈知性〉が働き始めるとき、知性が、より普段の生活に使いやすい形に分離され、私たちの意識に浮かび上がってくる。それは別の側から見れば、異なる領域を〈流動的知性〉が次々と横切っていくようにも見える……っていう。


■だから〈流動的知性〉は、DJプレイに似ている。ッチーッチーッチーッチー、というハイハットの音が、ふいにンチ、ンチ、ンチ、ンチチッに切り替わって、腹に響くようなキックの音はそのままにドンドンドンドン、そうかと思えばリバーブの効いたシンセのフレーズが、空中を漂う煙のように消え去っていて、その代わりに波のようにうねるボーカルがふいに入り込んでくる……。次から次へと主題を切り替えながら、でもひとつの巨大なうねりのような。唐突に途切れ、テンポを変えながら、でも確実にダンスフロアを叩き続ける、大きく太いリズムのような。


■にしても、ビーチボーイズバッファロー・スプリングフィールドも、20世紀後半を席巻したある巨大なポップグループの影響を大きく受けていて、それはジョンとポールとジョージとリンゴのリバプール出身のバンドなのであった。そして彼ら――ザ・ビートルズは、そのキャリアの締めくくりに『アビー・ロード』というアルバムを発表する。すでに解散が決まっていて、人間関係もバラバラになっていた4人が「最後なんだから、最高傑作をつくろう」と心に決め、そして本当に最高傑作になってしまったという、嘘か冗談のようなこの狂気のアルバムのB面――いくつもの曲が次々と繋ぎ合わされ、うねり、響き、唐突に途切れたかと思うと、また始まり、そして無音のあとに「ハー・マジェスティ」が流れる、まるで冗談のような20分。それは確かに、巧妙に組み立てられた〈無意識〉というような、矛盾していて不気味なある感触を確かに伝えていて、すごくゾクゾクしてしまう。