予防注射

■僕が出版社で働き始めた頃、よく耳にしていた議論があって、それは「テレビゲームは商品か作品か」という議論。だったのだけれど、僕には何が問題になっているのか、ずーっとピンとこなかった。というか、今だにピンと来ていなくて、それはつまり僕にとって、テレビゲームも音楽も映画も文学もマンガもアニメも、この世に存在するあらゆる文化表象はみんな「商品であると同時に作品」で、まさにそういう両義性が――両義性こそ重要だったからなのだった。


■前回、ここに書いた「80年代を通して起こったのは、マンガやアニメやゲームといった、いわば大人の文化に入りきらない『辺境の文化』が急速に拡大する」という事態と、そのことはとても深く関わっている。なぜ「辺境の文化」が80年代に急速に拡大したのか――少なくとも、僕がそう感じたのはなぜか。といえば、間違いなく、資本が一気になだれ込んだからなのだ。お金儲けができる、と考えた人がいて、その人たちが一斉にお金を突っ込んだからなのだ。細かく見れば、それぞれのジャンルにおいて、事情はいろいろと違ったりするんだけど、少なくとも作品そのものが面白いかどうかは、売れるかどうかとは、あまり関係がないように見えた。作品が流通するためには、人々の間に広がっていくためには、その作品が〝面白そうに見える〟ということが鍵を握る。


■これは僕が、ベビーブーマー世代だということとも関係があるのかもしれない。これは以前にも書いたことがある気がするんだけども、僕の世代は、ブームとともに育った感がある。スーパーカーキン肉マンガンダムファミコンおニャン子、バンド、お笑い……。僕の世代がメインターゲットだったときもあれば、もう少し上の年代がターゲットだったものもあるけれど、要するに、僕たちの年代が支持したものが、そのまま社会現象として新聞や雑誌に取り上げられるようなところがあった。というか、今でもそれはある。


■ところが困ったことに、僕自身は、そういうブームを面白いと思ったり思わなかったしたのである。面白いと思えば乗れるんだが、面白くないと友達と話もできない。興味のないものにはとことん冷淡だったのは昔からで、そこそこ話を合わせたりはたぶんやってたと思うのだけれど、それでも夢中になってる人から見れば「浅い!」と怒られるだろう程度だったと思う。つまり何が言いたいかというと、〝面白い〟と〝売れてる〟は別物だということを、何度も何度も、いやになるくらい見てきてしまっているということだ。


■で、面白いのに売れない、というところに目をつければサブカルオタになれるんだろうが、面白くなくて売れてない、というのも当然あるし、面白くなくて売れるってこともある。さらに困ったことに、面白くて売れてる、ってことも世の中にはあったりするのだ。「すべての作品が商品と化した」という状況は、すべての作品がこういう場所に、否応なく引きずり出されてしまったということでもある。例えば、大岡昇平のように「売れようが売れまいが大きなお世話だ」と言い切れるならまだしも、多くの人はたぶんその手前でつまづいてしまう。


■面白くて売れてる、というのが幸福な状態であることは間違いないけれど、たぶん多くの人はその手前で戸惑ってしまう。〝面白い〟というのは、あくまで個人的なものだけど、〝売れる〟というのは、多くの人をサンプルにできる。だったら、〝売れる〟に重点を置いた方が、成功しやすい。商品として成功したことが、そのまま作品としての成功にもなる……と考えたくなるのも無理はない。というか、作品と同時に商品であるような状況というのは、つまりそういうことなのだから。


■そして、商品としての成功を導くのにもっともよい手立ては、それがとにかく流通することだったりする。広告の重要性が高くなったのは言うまでもない。知っているから買う、知っているから見る、という行為が日常化する。名前も知らないものを〝面白い〟と思えるのはよほど奇矯な精神構造の持ち主で、普通の神経なら、知っているものの方が安心して〝面白い〟んだろうなあ、と想像できる。……つまり、ここで大きな逆転が起こっているわけだ。


■と、ここまで書いて、面倒くさくなってきたので、残りはまた後日。