映画は(やはり)恐ろしい

■またしても、話のネタにしてしまって本当に申し訳ないのだが、『ニュータイプ』に連載中の、藤津亮太のコラム「アニメの門」を読んでいて、「んー?」と思ったことがあったのだった。件の記事が掲載されていたのは、2006年11月号。「B級映画パラドックス」という、サブタイトルが掲げられている。


■「んー?」と思った。……といっても、なにも批判しようというわけではなくて、藤津が挙げている論点に深く頷いたからなのだった。彼は言う。「B級映画」には、ふたつの側面がある。企画的特性である「低予算映画」と、ジャンル映画的な精神の在りようを指す「肩の凝らない娯楽映画」。このふたつのうち、アニメーションは後者しか実現できない。――というか、後者を実現しようとすると、必然的に制作予算が高くなってしまい、前者の達成が難しくなってしまうのだ、と。


■さらに、藤津は続ける。むしろアニメとは、だいたいにおいてその成り立ちが「B級映画」なのである、と。アニメの大半が「肩の凝らないジャンルもの(そのジャンルは、ロボットがワサワサ出てくる近未来SFモノだったり、年端のいかない子供たちがあるルールに則って戦うバトルモノだったり、特殊な変身能力を持った少女たちの魔法少女モノだったり、女の子のおっぱいとパンチラが満載の美少女モノだったり――あるいは、その混合ジャンル)である」のには、それなりの理由があるのだ、と。アニメは、その企画のあり方からして「B級」なのであって、つまり、アニメには(本質的には)ジャンルムービーしか存在しないのだ。


■そして、そのオルタナティブが存在するとすれば「量産が難しいA級作品だろう」と、彼は論を進める(そしてそのとき、この「A級」作品というのは、たぶんスタジオジブリの――というか宮崎駿の一連の作品を指しているのかな? と思う)のだが、それはまず置いておこう。ここで重要なのは“アニメは、B級映画的ポジションに立っている”という指摘だ。


■アニメと実写は、映画というメディアの上では等価だ。どちらも、モーション・ピクチャー(動く絵)なのだから。しかし、決定的な違いがある。それは、現実の役者が(フィルム上に)出てくるか出てこないか、だ。


■役者というのは、映画において厄介な存在で、例えば役所広司が画面上に出てくると「あ、役所広司だ」と、私たちは思う。つまり、映画のなかでどんな役柄を演じようと、役所広司役所広司なのであって、映画が始まった途端に役者は、映画の外の情報を映画のなかへと持ち込んでしまう。


■AVのなかには「そっくりさんモノ」とでも名づけられるジャンルが存在していて、なぜそんなジャンルが成立するかといえば、僕や貴方の知っている“あの女優(のそっくりさん)”が、淫らな格好であはーんとかうふーんとかやってる。つまり、その女優について私たちが知ってしまっている“人生(というデータ)”を(半ば強引に)エロティシズムの起動装置として据えているからなのである……というのは、余談ですね。


■翻って、B級映画である。B級映画には、まず有名俳優が出てこない。出てくる役者は、ほとんど誰も知らない無名の俳優ばかりだ。つまり彼らは、映画の外から“人生というデータ”を持ち込みにくい。だって、その人がどんな人なのか、僕たちの誰も知らないんだから。B級映画(の多く)は、まず“役者”という情報を欠いている。


■加えて、B級映画は予算の都合から、映画に必要と思われる情報の多くを欠落させてしまう。たとえば、RKOの『暗黒街に明日はない』という典型的なB級映画には、都合、4つの場面しか登場しない。主人公の自宅と事件現場と、その外と警察署(ホントはこれに空港のロケシーンが加わるが、わずか数カット程度しかない)。この4つの場面を交互に繰り返すことで、なんとか67分の物語をでっち上げてしまうのだ。


■あるいは、香港のフィルマーク社というところが量産した忍者映画群はもっとヒドくて、東南アジアあたりから輸入してきた映画を、バラバラに解体したあげくに、忍者が登場するシーンを無理やり挟み込んで、1本の映画をでっち上げてしまう。……もちろん、まったく見るに耐えない作品ばかりなのだけれど。


■とどのつまり、B級映画とは、本質的に“不十分な映画”を指す。


■えー、なんの話だっけ? そうそう、アニメはB級映画なのだ、という話。つまり、俳優も存在せず、セットにもお金をかけられず、ひたすら人力で“映画を成立させるために必要最小限の情報”からなる映画。それを僕は、B級映画と呼ぼうと思う。そして、それは決して恥じるべきものでも、マニアがこっそり見て楽しむだけのものでもない。予算はなくとも、機知と打算で四角いスクリーンに描き出される“何か”。それは、ときに私たちを、とんでもないところへと連れていってくれる。


■「そんなバカな!」と、あなたは言うかもしれない。しかし、そんな「バカな」ことが起こってしまうのが、映画の恐ろしいところなのだ。