『げんしけん』の空

げんしけん DVD-BOX 1 エレファント デラックス版 [DVD]



■『ハイパーPS2』誌に映画評を書くために、ガス・ヴァン・サント『エレファント』を観直した(1回目は劇場でした)。で、唐突なようだが『げんしけん』のことを思い出した。


■『エレファント』で最も印象的なのは、何よりもファーストカットの空である。仰角に構えられたカメラが映し出す、曖昧な色の空がゆっくりと藍色に暮れていく。そして、登場人物たちはこのぼんやりした“空”の下に閉じこめられている。……というようなことを、原稿で書いたんですが。


■そして『げんしけん』を観ていて思うのは、部室棟の上に広がっている青い空。『げんしけん』自体が、大学生活のモラトリアムに浸りきってアニメだ同人誌だコスプレだゲームだと空騒ぎをしている男女のアレコレを描く作品なのだけれど、そんな彼らも『エレファント』と同様、青い空の下に閉じこめられているんじゃないかな、とか思った。


■言い換えると、つまり、世界はたったひとつしか存在してなくて、“この世界”以外の場所は結局のところ、どうやら存在していないらしい。その閉塞感こそが、問題だという話。これは例えば『ほしのこえ』の新海誠が、執拗に“空”の描写を繰り返していることにも繋がっているような気がする。彼の新作がどうなっているのかは、まだ観てないので知らないんだけども。


■というのも、とある仕事で、SF界の大物にインタビューする機会があり、そこで冷戦構造がいかに彼の作品世界に影響を与えたのかという話を伺ったのだが、つまり、60年代から70年代にかけて、世界はふたつに分裂していたらしい。アメリカ(というか西側諸国)とソ連(というか東側諸国)の、ふたつの“空”があったらしいのね。しかし、たぶんベルリンの壁崩壊〜ソ連邦崩壊を経由して、紛いなりにも世界はひとつに統一されてしまった、と(グローバリゼーションってヤツか?)。


■以降、世界はより小さな共同体同士の抗争が繰り返される場所になった。ここにおいて、“空”は世界の端なのである。空は境界であり、金魚鉢のガラスのように、私たちを取り囲んでいる壁である。しかも、私たちは“この世界”以外で生きていくことができない。金魚が水槽から飛び出すと、息ができなくなってしまうように。


■このどうしようもない閉塞感。行き場のなさ。“空”が、世界の壁として描かれる作品群っていうか。なんかそういう作品が、結構あるんじゃないかななんて思う。空の向こうを目指すんじゃなくて、空のこちら側に留まる(というか、留まらされてしまう)ことをめぐる物語っつーか。


■ま、そんなことはさておき『げんしけん』は楽しい。この間出た単行本で、荻上のけっこういじましいとことか見られて嬉しくなって、でもアニメは1クールで終わりみたいだし、新会長に笹原が選出されるとこくらいまでで終わりなのかなあ。